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名古屋高等裁判所 昭和38年(ネ)376号 判決

控訴人 株式会社東海銀行

被控訴人 野村浴巾商店破産管財人 入谷規一

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人代理人は「控訴棄却」の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は左記のほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

控訴人代理人は次のように述べた。

「一、破産債権者が破産宣告前に破産者に対して負担した債務については、たとえそれが破産者の支払停止ないし破産申立後に負担したものであつても、相殺に供することに妨げはない。破産法第一〇四条第一号あるいは第三号を類推拡張し、右の場合の相殺も禁止されると解釈するのは正しくない。

それは、一には、破産法は破産債権者の相殺を認めるのを原則とし(第九八条)、第一〇四条はこの原則を制限する例外規定なのである。かかる例外規定は安易に類推拡張解釈して適用されるべきでない。同条に規定されていない支払停止、破産申立後負担した債務についてまで相殺禁止の対象に含ませるのは、立法論としてはともかく、解釈論としては行き過ぎというべきである。

また、実質的にも、右の場合に相殺が禁止されるべき理由はない。すなわち、破産者は破産宣告によつてその財産管理処分権を制限されるのであり、支払停止、破産申立があつたことだけではその管理処分権に制限を受けるものではない。従つて、支払停止の状態になつた者が、他の者に対する債権を取得した場合、彼はその債権を如何ようにも、行使処分しうる。その債務者に対し、反対債務を負つていれば、これと相殺することも、適法、有効になしうる。そうすれば、これと同様に支払停止者に対し債務を負つた者も、適法有効に相殺をなしうることを認めなければ、両者間の公平は保たれない。右債務を負つた者が相殺をなしえないとする根拠はない。右の場合、後になつて、支払停止者につき破産宣告がなされた場合でも、その破産宣告前にした行為が適法有効なことは、前述のとおりである。この場合、破産管財人によつて右行為が否認権行使の対象とされることはあつても、破産宣告前の行為が当然無効となるものではない。

二、仮に、支払停止後に破産者に対し負担した債務を以てする破産債権との相殺が、破産法第一〇四条の類推解釈により禁止されるべきものありとしても、本件の場合の相殺はこれに当らず、許されるべきものである。

第一〇四条につき右のような拡張解釈がされる所以は、一には破産債権者が破産者から商品を買い、その代金債務と自己の破産債権とを相殺する場合のように、破産債権者がその債権実価の下落している状態にあることを知りながら、破産者と売買のような有償契約を結び、何らかの有価物を収受しながら、その支払うべき対価を相殺により免れることを防止しようというにある。さらには、そのような行為が破産の差迫つた時期においてなされることにより破産財団が減少させられることを防止するのが妥当とされるからである。

ところが、控訴人の本件債務負担は右のような場合と性質を異にする。すなわち、控訴人の本件債務負担については、控訴人も破産者もその発生に関与する何の行為をしたのでなく、控訴人として無償の債務負担であり、他の破産債権者を害する意図はなく、また害する行為をしてもいない。

元来、控訴人と破産者間には、支払停止の時よりはるか前の昭和二八年六月一六日取引約定契約が、翌一七日には当座取引契約が締結されていた。右のような銀行とその取引との間になされる当座取引契約には一般に次のような内容が含まれている。すなわち、銀行は、第三者からの取引先に対する債務弁済等のための銀行への振込金について取引先のためこれを受領する代理権限を与えられるとともに、取引先のためこれを代理受領すべき義務、第三者から振込まれた手形等についてはこれを代理取立し受領すべき権限、義務を与える委任契約を含むのである。そしてまた右のように、取引先のために受領した金員については、その受領とともに、同額の取引先のための預金債権(銀行の取引先に対する預金債務)が成立する、取引先のための預金となるという約旨が当然含まれる。

以上のことは、控訴人と破産者との間の前記取引契約についても同じである。そして、控訴人が被控訴人主張の訴外人から払込を受け、破産者に対する預金債務を負担するに至つたのは、すべて右契約上の約旨に基くものである。右契約は破産と何の関連もなく成立しているのであり、その結果控訴人の右債務負担も破産との関連はないといわれるべきものである。かかる債務負担行為、相殺は第一〇四条の拡張解釈の前述趣旨から見て、禁止されるべきものではない。

さらに、第一〇四条が破産宣告前取得債務による相殺について類推適用されるべきものならば、その第三号但書の趣旨も同様に類推適用されるべきである。その趣旨とは要するに、ことさらに他の債権者を害するような手段によらないで、債権を取得した場合など、支払停止や破産申立との関連性が薄い場合は、原則に戻り相殺は許されるということである。

そうであれば、前述のように、控訴人の意思に基かず、無償で、破産宣告や申立、支払停止等と関係のない本件債務負担の場合は、右但書の趣旨からいつて相殺禁止の対象とされるべきではない。

三、破産法第一〇四条は破産手続開始後になされた相殺の意思表示の効力についてのみ適用されるものであるところ、控訴人のなした相殺の意思表示は破産手続開始前になされたものであるから、右一〇四条の適用はない。」

被控訴人代理人は次のように述べた。

「一、破産債権者が破産宣告前に負担した債務を以てする相殺については破産法第一〇四条の関するところでなく、相殺は適法になされうるとの控訴人主張は争う。

相殺制度の存在理由の一は、名目的、実質的に対等な対立債権を、互に消滅させることが当事者間の公平に合するところにある。ところが破産法第一〇四条第三号所定の支払停止や破産申立の事態が生じると、その者に対する債権の実質的価値は下落する。後に破産宣告がされるに至れば、右時点における債権価格の下落は外形上、画一的に明かなものとなる。従つて、支払停止や破産申立の事実を知りながら、破産者に対する実質下落した債権を取得し、相殺適状をつくり出してなす相殺を右一〇四条三号が禁止するのは、前述の相殺制度の存在理由たる対立債権の実質的対等を欠き、当事者間の平等、公平を来さない右のような相殺を保護する必要はないとしたことによる。右の趣旨は、当然、破産債権者が自己の下落した債権を以て、支払停止後に破産者に負担し、よつて不平等な相殺適状をつくり出してなす相殺にも準用されるべきである。

二、控訴人、破産者間に昭和二八年六月取引契約、当座取引契約が締結されたことは認めるが、右契約は控訴人に対し第三者から破産者のための支払を受領する代理権限を与え、受領すべき義務を負わした委任の約旨を含むとの点は否認する。また、控訴人は破産者に債務を負担するに至つたについて控訴人はこれに関与すべき行為をしていないと主張するが、控訴人は第三者からの払込を承諾する、すなわち破産者のためにする第三者の当座振込の申込を承諾するという行為をしているのである。

控訴人、破産者間の前記取引契約ならびに第三者の破産者のためにする控訴人の振込は次のようなものである。

第三者の振込とは、第三者を要約者、控訴人を諾約者とし、破産者を受益者とする第三者のための預金契約であり、破産者は前記控訴人との間の契約で、予め一般的に受益の意思表示をしているものである。以上のように解するのが、当事者の意思ならびに銀行取引の慣行に合致する。すなわち、控訴人は諾約者として昭和三五年三月一五日以降被控訴人主張の各預金受入日に、被控訴人主張の第三者との間に破産者のためにする預金契約締結を承諾し成立せしめ、よつて破産者に対しその支払停止の事実を知りながら、債務を負担するに至つたものである。

もし、前記取引契約において予めの受益の意思表示がされていないならば、被控訴人は控訴人に対する昭和三六年一一月一一日の本訴状送達により右受益の意思表示をした。

そして、控訴人破産者間の当座取引契約は当事者の一方が何時でも解約しうる約であるから、被控訴人は右訴状送達により、右当座預金契約解約の意思表示をしたものであり、これにより、本訴請求の預金返還債権を取得した。

以上のように、控訴人が破産者に対する具体的債務を負担するに至つたのは、上述第三者の振込、控訴人の承諾による預金契約成立に基くものであり、これは破産法第一〇四条第三号但書にいう法定の原因に基くものでもなく、また前記当座取引契約を原因とするものでもないから、支払停止前ないし、破産宣告から一年以上前の原因に基くものでもない。従つて、右債務を以てする相殺は許されない。前記当座取引契約が将来の振込を予定していたとしても、それは特定具体性のない債務であるから、控訴人が破産者に対する債権が担保するものとして、かかる具体性なき債務を考えていたわけでないから、相殺による保護を受けるに価しないわけである。

三、控訴人は、その相殺の意思表示は破産宣告前になされたものであるから破産法の適用はないと主張するが、破産法第一〇四条の要件が備つているときは、相殺の意思表示が破産宣告の前にされたものでも、無効となると解すべきものである。」

証拠〈省略〉

理由

被控訴人請求原因事実は争がない。

ところで、破産法第一〇四条により相殺の禁止される同条各号を総合して見ると、破産債権者が同条第三号本文所定の時期、状態で破産者に対する債務を負担するに至つた場合は、同号但書に該当しない限り、その債権債務を以て相殺することはできないものと解するのが相当である。また、かかる場合は、その相殺の意思表示が破産宣告より前になされても、その後破産宣告がされた場合は、相殺の効果は生じなかつたものとして破産手続上処理されるべきものと解すべきである。

本件においては、前示争のない事実によれば、控訴人の破産者に対する預金債務の負担は破産者の支払停止後、その事実を知つて負担するに至つたものであることは明かであるから、以下その債務負担が破産法第一〇四条第三号但書の場合に当るか否について判断する。

昭和二八年六月控訴人と破産者との間に当座取引契約が締結されたことは争がない。そして、成立に争のない乙第二号証によれば、右契約は一般に銀行とその取引先との間になされるいわゆる当座勘定取引契約の例に属するものと認められる。そうした当座勘定取引契約は、銀行が取引先のためその出納事務を処理することをその目的内容とするものというべく、その範囲で一種の委任契約たる内容を持つものであり、その委任契約上銀行が受託者として負う債務の一として、銀行がその委任者たる取引先、または第三者から取引先に対する弁済等のため、取引先の当座預金とされるべきものとして、銀行に払込まれた現金、振込まれた手形、小切手等を受入れ、受領する義務あるものといわねばならない。そして、右のように受領した現金はもちろん、手形小切手等についても少くともその取立完了した時においてはその金額につき取引先のための預金債権が成立したこととされるべきこととなる。

前記乙二号証によれば控訴人破産者間の前記当座取引契約において、当座勘定には現金のほか控訴人の承諾する手形、小切手その他の証券を以て払込むことができること、取引先または第三者から振込んだ手形、小切手その他の証券の取立が完了しない間は記帳後であつてもその払出に応じないことがある等の約定がなされていることが認められ、これら約定は前記趣旨を現わし、あるいは当然これを前提とするものと解される。このことは、第三者からの振込を被控訴人主張のように第三者のための契約と解するにせよ、あるいは控訴人主張のように、銀行が取引先のため弁済受領の代理権を与えられているものと解するにせよ、銀行、控訴人がかかる払込金、振込証券を受領すべき債務を取引先、破産者に対し負つているものという点に関する限り、差異のないものというべきである。

そうであつて見れば、控訴人が破産者の取引先から払込を受け、同額の預金債務を破産者に負うに至つたのは、前記昭和二八年六月成立した当座取引契約上控訴人が破産者に負担していた義務履行の結果なのであり(控訴人がその受入を拒むことは破産者に対する債務不履行となる)、その破産者に対する右預金債務の負担は、契約上の義務という法定の原因に準ずべき原因に基くともいいうべく、また支払停止前の昭和二八年六月成立した契約という原因に基いて、負担するに至つたものともいいうべきものである。

そうすると、控訴人の破産者に対する預金債務負担は破産者の支払停止を知つての後のことではあるが、破産法第一〇四条第三号但書の趣旨に鑑み、右債務を以てする破産債権との相殺は有効になされうるものと解するのが相当である。

すなわち、右相殺は無効であるとの被控訴の主張は採用しがたい。

次に、被控訴人は、右相殺行為を否認すると主張する。しかし、破産法第九八条ないし第一〇四条において禁止されず、許容されている相殺行為については否認の対象とならないものと解するのを相当とし、本件相殺が破産法上有効になしうるものと解すべきこと前述のとおりであるから、被控訴人の右否認の主張もまた失当である。

そうすると、被控訴人の本訴請求は理由がなく認容しがたいものというほかなく、これを認容した原判決は失当であるから、これを取消し、被控訴人の本訴請求を棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 県宏 越川純吉 西川正世)

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